私たちが考える、フィールドワークにおけるハラスメント

ハラスメントとはなにか

私たちは、暫定的に「ハラスメント」を以下のようなものだと考えています。

“相手の意に反する嫌がらせ行為、身体的・精神的苦痛や傷害、物質的な不利益を与えるすべての行為”
“本人のセクシュアリティに対する、強制や威嚇によるあらゆる性的行為や、性的行為の試み、性的行動への衝動、望まない性的発話や接近であり、被害者とどのような関係であっても、自宅や職場に限らずどのような場所であっても起こるもの(WHO 2002: 149)”
(具体的には、人格否定などの不当な言動、暴力行為、噂の流布などの嫌がらせ行為、人間関係の悪化・崩壊、生活・研究環境の悪化・崩壊などの身体的・精神的傷害を与えるすべての行為、レイプなどの性暴力・犯罪行為、身体的な接近・接触、性的ジョークなどの性的な言動、などを含む。)
このようなハラスメントのとらえ方が、非常に大雑把なものであることは承知しております。これは、「セクシュアル・ハラスメント」「アカデミック・ハラスメント」「パワー・ハラスメント」などの名前のついたハラスメントに分類することが難しい事案(年齢、セクシュアリティ、人種、民族、国籍等に関わる差別など)が容易に考えられることや、1つ以上のハラスメントが重層的・同時多発的に起きうるためです。

このウェブサイトで公開している体験記のタグなどでは、閲覧者が利用しやすいよう、便宜的に上記の3つのハラスメントを挙げていますが、フィールドワークを切り口としている本共同研究では、これら3つのハラスメントの弁別性について議論することが生産的であるとは考えておりません。むしろ、ハラスメントにあたる言動や行為を具体化・カテゴリ化し、事前に定められた定義に依拠しすぎることは、フィールドで関わる人たちとの相互行為を通じて「何がハラスメント行為にあたるのか」を考え、理解し、行動にうつしていく双方向性や内省性を無視することに繋がるという懸念があります。

 

なぜ「フィールドワークにおけるハラスメント」なのか?

フィールドワークにおけるハラスメントを考える上で、ハラスメントの区分よりも我々が重視しているのは、既存の関係がフィールドにおいて暴力化する可能性、そしてフィールドで出会う人たちとのあいだで生まれる捻じれた社会関係です。

権力関係、社会的・職務上の立場の違い、継続的な関係は、ハラスメントの温床になりやすいと言われます。特に、フィールドワークの初期において、右も左も分からない若手研究者にとって、先輩や指導教員の存在は非常に大きいものとなりがちです。逃げ場のないフィールドでの濃密な人間関係のなか、既存の上下関係が固定化・肥大化・暴力化してしまう可能性。これが、フィールドワークにおけるハラスメントのひとつの構造ではないかと考えています。

同時に、フィールドワーカーがフィールドで様々な人物と構築する関係性は、多様かつ流動的であり、そこで新たな権力関係が立ち現れる場合もあります。フィールドワーカーは、高等教育を受け、しばしば(調査される側の国・地域よりも)経済的に豊かな国の出身であり、裕福である、といった属性を帯びており、それらの帰属が前景化するなかで、調査対象者とのあいだに非対称な関係・格差を生み出すと指摘されてきました。ところが、フィールドワークにおいては、調査者は対象者に対して教えを乞う立場でもあり、調査の初めの頃は若造・半人前と見られたり、年齢や性別による帰属が立ち現れたりする場面もあります。同様にフィールドの人びとの帰属も多層的であり、先にあげた大前提としての非対称な関係とは捩れた形の関係が前景化することもあるでしょう。

私たちは、この捻じれた関係とアカデミズムの構造とは深く結びついていると考えます。これまで、フィールドワーカーが調査対象者との関係のなかで劣位に置かれうる事実や可能性については、多くの場合、不問にされたり、もしくは、フィールドワークに否応なしについてまわる洗礼・通過儀礼としてのみ認識されてきました。つまり、この捻じれた関係を前提に起こるハラスメントについて声をあげることは、軟弱で未熟な初心者の泣き言として捉えられ、フィールドワーカー自身の我慢と忍耐でもって乗り越えなくてはいけない壁として当然視されてきたのではないでしょうか。

もちろん、フィールドで起こりうるハラスメントは、既存の関係が暴力化するなかで起こるものと、フィールドで出会う人たちとのあいだで生まれる捻じれた社会関係を背景にして起こるものだけに限らず、両者の重なり合う領域、あるいはまた別の関係性において立ち現れることもあり得るでしょう。例えば、フィールドで出会う人たちは、必ずしも調査対象者だけに限られません。自分とは別の高等教育機関に所属するフィールドワーカーや、現地の研究者、大使館職員、NGO/NPO職員など、フィールドを通じて様々な人と知り合い、関係性を築いていく中で、フィールドワーカーは新たな社会関係・権力関係に身を置くことになります。慣れないフィールドでの孤独や、限られた時間のなかで学位論文を書かなくてはいけない、研究論文の種をつかまなくてはいけない、といった焦りが、ハラスメントの起こりやすい環境、または起こったとしてもそれを声に出すことを選択できない環境を醸成・助長してしまう可能性もあります。

多くのフィールドワーカーは、このような複雑な関係性、社会的立場、心理的状況のなかで悩み、揺れ動きながらフィールドワークを行ってきました。先輩や指導教員などとの人間関係は、フィールドから帰ったあとの研究人生を大きく左右するため、ハラスメントに声をあげることが困難なことも多いでしょう。また、フィールドで調査対象者から受けた嫌な思いを、ハラスメントと主張していいのかどうか、もやもやすることも多いと思います。

フィールドワークをめぐるハラスメントについての実態把握の試みがされていない現状では、このハラスメントの特質や要因の多くは想像に留まってしまいます。ですが、私たちは、複雑に捻じれた権力構造の中で板挟みになっているフィールドワーカーの「もやもや」とした感情のゆれに耳を澄ませることが、学問構造の変革につながり、ひいては、現在そして未来のフィールドワーカーを守り、育てることにつながると信じています。本活動を通して、私たちだけではなく、皆さんの感じている「もやもや」の内実を少しずつ明らかにしていきたいと思っています。

参考文献:
World Health Organization., 2002. “World report on violence and health” (Geneva: World Health Organization), Chapter 6, pp. 149.