下着で泳ぐ ─ 自身が加害者になっていたのかもしれないあやふやな事例

目次

キーワード
ハラスメントの種類:セクハラ/性暴力
当時の被害者の属性:女性、年下
フィールドワークの種類:フィールドワーク実習
地域:日本 内容:体験の内省・振り返り、投げかけたい疑問・質問・メッセージ、自分が加害者の可能性

I 概要・背景

この稿では、フィールドワークにおいて自身がセクシュアルハラスメント加害者になっていたのかもしれない事例を回想する。自身が本当に加害者になっていたのかは自分でもわからず、「被害者」が不快を感じていたかもわからない (真相があやふやな状態で一方的に被害-加害の関係を作り出すことにはまた別の危険があると考え、本稿ではこの事例の「被害者」を括弧書きで記すことにしたい)。過剰な自意識が作り出した杞憂かもしれないし、そうであることを望んでいるが、こうしたあいまいな事例であっても、共有することで、今後の誰かの助けになったり、私が私なりにこの事例に落とし前をつけるためのきっかけになるかもしれない。そう考えて、以下の事例を共有したい。

II 事例の内容

1 基本的な背景

私はヘテロセクシュアルの男性である。この事例が起こったのは、学部生対象の学生実習を兼ねた大人数での泊りがけの野外調査のあいだだった。当時大学院の博士課程に在籍していた私は、ティーチング・アシスタント (TA) という立場でこの野外調査に参加していた。TAは5-6人おり、修士および博士課程の学生とポスドクから構成されていた。この学生実習は毎年夏に開催されており、このときが3年目の開催だった。このときに、私と「被害者」は、参加者としてもTAとしても初めて実習に参加した。

2 事例の詳細

その日の調査が終わって宿舎に戻った後、夕食までは時間があった。前年度からこの実習に参加していたポスドクのTA (男性・日本人:Pさん) が、宿舎の裏の浜辺でひと泳ぎするということで、一緒に行きたい人を募っていた。それに名乗りを挙げたのが、私と、「被害者」となる大学院の修士過程在籍中のTA (女性・日本人:Mさん) だった。実は実習前にPさんからメールがあり、泳ぎたい場合は水着を持ってきてねとTA全員に知らされていた。私は、実習期間も短いし、まさか本当に泳ぐことになるとは思わず、水着は用意していなかった。
そのような背景があり、PさんとMさんは水着を持ってきていたが、私は持っていなかった。しかし、もともと泳ぐのが好きであり、また、このような暑い日にきれいな海で泳がない手はないと思い、誘いに名乗りを挙げた。水着がないのですが、とPさんに相談すると、下着で泳げばいいのではないか、と返事があった。たしかにそうかと思い、3人で浜辺へ降りて、私はトランクスで、PさんとMさんは水着で泳いで、すこし沖まで出てから帰ってきた。水泳中にトランクスが脱げたり透けたりすることは一切なく、海からあがって体と下着や水着をバスタオルで拭いて、もともと着ていた服をつけて、宿舎に帰り、それぞれが浴室でシャワーを浴びた。
下着で泳いでも構わないかどうかをMさんに尋ねたかどうかは記憶がない (もし尋ねていたとしても、所属研究室は同じではないものの学年は私のほうが上であり、答えを強制する力学が働いた可能性はあるかもしれない)。また、あくまで私の観点からは、水泳後にMさんとの関係性が変わったようには思われなかった。実習後にもSNSでつながり、別件で1-2度やりとりをしたこともあった。

3 事例に対する私の考え

実習が終わって大学に帰った後、私が下着で泳いだことはMさんにとって不快ではなかっただろうか、と悩むようになった。男性の場合、水着でも下着でも、上半身や脚部など露出する肌の部分や面積は変わらない。違いは、身につけている布生地が、人に見せることを意図したものであるかどうかということだ。下着 (トランクス) は人前で見せるものではないから、特に相手が異性だった場合 (というよりも本当は性別に関係なく)、それを否応なく見せつけられてしまうことに抵抗感があるかもしれない。
また、これは私の偏見かもしれないけれど、逆の場合はあり得ないように思う。つまり、水着を持ってきていなかったのが女性だったとしたら、下着で泳ぐという選択肢は無いのではないかということだ。下着で泳ぐという選択肢は、男性より女性にとって、社会規範や性的安全の面で多くの制約がかかるように私は思う。もしMさんがそうした非対称性を認識せざるを得なかった場合、男性が下着で泳ぐという行為は、男性優位の社会のあり方を無意識に体現した「マウンティング」となってしまう恐れもあるかもしれない。

III 後日譚

1 その1

自分がセクハラ加害者になっていたのかもしれないというあいまいな恐れは、この事例があってから長い年月が経過した今でも私のなかに残っている。真相を明らかにするためには当事者に尋ねてみるのがいちばん良いのだけれど、それもそれで難しいと思う。Pさんはあっけからんとした性格で、この事例のことを覚えているかあやしい。覚えていたとしても「えー大丈夫なんじゃないの!?」と返されるのがなんとなく予測できる。Mさんに不快を感じたかを尋ねるのは、もし本当に不快を感じていた場合、二次的なハラスメントとなる恐れがある。実習で一度だけ一緒になった程度の知り合い関係にあるMさんに、テキストメッセージなどの文字情報のみで、学年の違いによる強制力をできるだけ排除した形で、この事例が本当にセクハラだったのかを尋ね、本当にセクハラと考えられていた場合には二次的なハラスメントとならないように謝罪することは、ハラスメントに関する専門家でも何でもない私にとっては、あまりにも難しく思われてしまう。また、そうしたことを尋ねる動機は、私自身の胸のつかえに決着をつけたいという利己的なものである。本当にMさんを気遣ってのものではない側面があることから、そうした行動を取ることには戸惑いがある。

2 その2

この事例が起きた数年後、とある教授の退官記念講演に参加した。記念講演後に、教え子の大学院生代表 (女性) がスライドを映しながらメッセージを述べていた。そのなかで、フィールド調査の最中の休日に、教授 (男性) が水着を忘れたため下着一枚で泳いでいたのをその教え子の大学院生 (女性) が見ていたことがあった、というエピソードがおもしろおかしく紹介されていた。この教授と大学院生のあいだには、下着で泳ぐということが許容される関係性があったのかもしれないということを (あくまで第三者の視点からは) 思った。もちろん一般化はできないだろうけれど、男性が下着で泳ぐということは他者からどういうふうに認識されるのだろうか、ということを折に触れて考えている。