インドの調査現場:フィールドワークにおける若年女性調査者の劣位に関する事例報告

キーワード
ハラスメントの種類:セクハラ/性暴力、パワハラ
当時の加害者の属性:調査対象者・協力者男性、年上
当時の被害者の属性:学生、女性、年下
フィールドワークの種類:学術研究(学生)
地域:南アジア
内容:体験の内省・振り返り

I はじめに

インドで参加型のフィールドワークを実施した経験について、3つの事例を以下に記載する。それらは全て学生(学部生および院生)であったときに経験したことだ。当時、調査者(筆者)は対象者に対して教えを乞う立場でもあり、南アジアの文脈では若年かつ女性だったこともあり、調査対象者からは「保護対象」とみなされていたと思う。基本的に若年女性の単独行動は好まれておらず、常に誰かが私に付き添った。

フィールドワークにおけるハラスメントは、ある種、常に誰かの監視下に置かれ、逃げ場のないフィールドでの濃密な人間関係のなか、現地の既存の上下関係や規範が調査者にも適用され、肥大化・暴力化したととらえることが可能であろう。本稿で記述する事例は、本人たちは単に保護対象たる若年女性を守るつもりだったかもしれないと思える事例もあるが、明らかなハラスメント事例もある。

II 【事例1】現地調査調査協力者-Wさんの場合

1 Wさんとの信頼関係

20代のとき、単独で調査していた時の話である。現地の調査協力者Wさん(調査対象者との関係構築の仲介と通訳:30代男性・未婚)と一緒に移動して村々を訪問して泊まり込みながら調査していた。Wさんとはすでに3年ほどの知り合いで、私の調査意図を理解し、精力的に調査に協力してくれていた。私は彼に全幅の信頼を置いていた。民家に宿泊するときは男女は別々に、その家庭の同性の成員と寝所を共にする。商業用ホテルに宿泊する際にはWさんと、部屋は必ず別にしていた。ちなみに交通費や宿泊代は調査依頼者である私が支払ったが、Wさんへの謝金は支払っていなかった。私の調査に協力するのがライフワークだからとWさんが受け取らなかったからだ。当時私は長期休暇を利用して1~2か月ほど現地調査をしており、日本から通いの形態で調査を行っていた。Wさんは私の訪問の度に村の訪問をアレンジし、誰と会うかも調整し、現場では通訳も務めてくれていた。

2 夜の小学校に2人きりで言われたこと・されたこと

そういった調査の形態が私の訪問の度に実施され、3年ほど経過していた頃の話である。その調査時は、とても辺鄙な場所だったのでホテルがなく、調査対象者の計らいで小学校に1週間ほど宿泊させてもらうことになった。私は鍵のかかる用務員室のような部屋、Wさんは教室でゴザを敷いて寝ることになった。早朝から夕方までは生徒もおり、学内の雑務をする年配の女性がいた が、日が暮れるころからは私とWさんだけになった。夕食は調査対象者の家で食べさせてもらうか、数キロ離れた道端の茶屋で済ませ、夕暮れ時に、道が狭いため高速で通り過ぎる車に接触しそうになりながら道の際々を歩いて学校まで帰る日が数日間続いた。

夕食後の学校で、次の日の調査の打ち合わせをしたいからと呼ばれてWさんのいる教室まで行った。ひととおり打ち合わせを終えたところで、「毎日たくさん歩いて疲れたでしょう。マッサージしてあげましょうか」と言われたが、断った。次の夜は、打ち合わせの後、「調査で疲れたので、マッサージしてくれませんか」と言われた。やんわりと断ったが、「調査で疲れた」を繰り返されたので断り切れず、足と背中と腰を10分ほどマッサージした。その次の夜にも再度マッサージを求められ、応じた。

数日後の打ち合わせの後、芸術性はそれほど高いとは思えない日本の春画とインドのカーマ・スートラ(古代インドの性愛論書)の現代版の挿絵を見せられた。挿絵は戯画化されているので、女性性器の位置が、本来のポジション(股間の間に下側を向いている)ではなく、腹部下側の前面にある。Wさんは、「女性のカラダは不思議ですね。本当にこのような状態なのですか」と問い、さらに女性の身体に関する問いを継続してきた。最終的には「確かめたいので見せてもらえますか」と言われたので、努めて冷静を装い丁寧にお断りした。もちろん内心は怖かった。私の声も手も震えているような気がしたが、明日以降の調査もあるし、これまでのWさんとの関係を壊したくない思いもあってとにかく冷静を装った。その後も何度かマッサージを求められたり、女性の体の話を「真面目」な感じで持ち出されたりしたが、私が全く応じないので、場所を移してのその後の調査期間中、関係がぎくしゃくしてきた。そのまま調査は終わり、私は帰国した。

3 その後の対応

以後、Wさんと2人きりの調査はしないことにした。Wさんは有能な調査協力者だったので一緒に調査しにくくなったことは非常に残念だった。幸い、Wさんは激高したり、力づくでコトに及ぼうとはしなかったので、大事には至らなかった。だが、鍵がかかるとはいえ大したつくりでもでもない鍵のついたドアは容易に破壊できるだろうし、学校で過ごす夜は怖かった。性的に発情したようなWさんも怖かった。Wさんに対して芽生えた不信感と恐怖心から、調査地として選定した場所で満足のいく調査をすることができなかったことも悔しい。

限られた資金と時間を使っての調査を実施するために、Wさんとの関係を悪化させないことを優先し、毅然と不快を表明したりWさんを諭したりすることができなかったことを反省している。同時に、このケースは、ハラスメントなのかWさんの私への個人的好意なのか、実のところ私にもわからない。告白やプロポーズをされたことはなかった。私が非インド人(外国人)だから、あるいは春画の国の人だから、性的に開放的だとでも思ったのだろうか。実は今でも調査対象であり調査協力者でもある存在としてWさんとの関係性は形を変えて継続している。しかし、この時の事柄に触れることは双方ない。

III 【事例2】現地調査対象・協力者-Xさんたちの場合

1 Xさんたちとの調査の形態

私は、当時、日本から通いの形態で、大学の長期休みを利用して1~2か月の参与観察と聞き取り調査を実施していた。20代 の学生だった。調査対象者兼調査協力者の複数人(全員男性)と、村々を移動しながら調査していた時、調査対象の村の最寄りの町のホテルに宿泊することが常であった。メンバー内で女性は私一人のため個室に宿泊し、男性陣(年齢は10~50代)は相部屋で宿泊していたが、リーダー格の年配者のXさん(60代男性)は個室を使用していた。全員の交通費や飲食代、宿泊代を支払うのはXさんだった。

2 「Xさんの部屋に行け」

調査が佳境に入ったころ、年の若い10代の調査協力者に耳打ちされた。「Xさんの部屋に呼ばれたら、夜であっても行った方がいいよ」と。「打ち合わせということだったらもちろん行くよ。でも私ひとりじゃないでしょう?」と私が言うと、彼は「そうじゃないよ。プライベートなことだよ。わかるでしょ」「Xさんは名士だから、求められたら応じた方がいいよ。みんなそうしてるよ」と言った。「みんなって誰?応じるって何?」と問い返したが、「You know」と言われただけだった。

しばらくして、その日の調査を終えて宿泊所に戻り、それぞれの部屋に戻るとき、当該の10代の若者に「今夜行った方がいいよ」と言われた。私は「みんなで打ち合わせをするのでないなら、私は行かない」と答えた。その夜、30代の別の調査協力者がホテルの私の部屋を訪ねてきて「Xさんの部屋に行った方がいい」と言ってきた。私は「みんなで打ち合わせするなら行く」と答えたが「みんな来るわけではない」と返答されたので、「では行かない」と答えてドアを閉めた。そして実際、行かなかった。

この後、Xさん以外の調査協力者の態度がよそよそしくなり、関係が気まずくなった。Xさん自身は何も言ってこなかったし、態度も変わらなかったように思う。「Xさんの部屋に行け」というのは、Xさんの指示だったのか、他の人たちの独自の判断だったのかわからない。だが、Xさん以外の人と気まずくなったことで調査しにくくなり、この時の調査以降、この人たちと一緒に調査に行くことはなくなった。

3 調査機会の喪失

この時のことを振り返るに、私は調査協力者からXさんと性的関係を持てと示唆されていた。調査協力者がどういった経緯でそのようなことを私に提案していたのかわからないが、そのような関係性を持ち込まれたことで、私にとっては調査上の機会喪失になったと思う。「黒幕」が誰かわからないということもあり、それら複数の調査協力者が関わる人やエリア全体の調査をあきらめざるを得なくなった。私が女性ではなかったら、こんな事態にはなっていなかったのではないかと思っている。

IV 【事例3】現地調査協力者-Yさんの場合

1 親のように親身になってくれたYさん

私が20代の学生だった時期、何度も調査地に通ううちに、現地の調査協力者のYさん(60代男性)は、過保護ともいえるほど私の世話をしてくれた。それは、私をまるで実の娘のように考えてくれているかのような扱いだった。調査資金をなるべく節約したい私を配慮し、家にも泊めてくれ、親身に面倒を見てくれたので、私も全幅の信頼を置いていた。

Yさんとの良好な関係が4~5年経った頃、Yさんと頻繁に行動を共にしていた別の調査協力者のZさん(30代男性)が、急に妙に馴れ馴れしくなり身体的距離も近くなった。Zさんとも知り合ってから4年ほど経っているので、この変化に戸惑った。私は奇妙に感じたが、身体的接触は避け、調査に支障が出ない程度に距離を置くようように努めた。仮にZさんが私に個人的な好意を寄せてくれていたとしても、Zさんから明確な個人的なアプローチがあったわけではなかったため、こちらから何か言うのもはばかられるという状況だった。

2 「なぜ君は別の男と結婚したんだ」

Zさんとの妙な距離感に戸惑っている間に数年が経ち、私は結婚した。結婚後、はじめて当該調査地に行ってYさんに会って結婚を報告したら、怒鳴られ、「もう顔も見たくない。二度と来るな」となじられた。こんな展開を予想だにしていなかった私は困惑したが、相手が取り合わないほど怒っているのでどうしようもなかった。そのまま部屋を追い出され口をきいてもらえなくなった。

その後、別の場所でZさんに会ったとき、「僕は君と結婚するつもりだったのに、なぜ君は別の男と結婚したんだ」と言われた。私が言葉を失っていると、Zさんは「Yさんが、『XX(私の名前)と結婚しろ。話をつけてある』と言ったから、僕はそのつもりだったのに・・・」と発言した。もちろん私はそんな話をYさんから聞いてはいない。状況を理解はしたが、同時にYさんに対する怒りも感じた。確かにYさんは父親のように親身になってこれまで私に接してくれてはいたが、私の気持ちも確かめもしないで、勝手に私の結婚を約束していたとは何たることか。私はZさんを異性としてみたことなど一度もない。インド的な発想では、父親が娘の結婚を決めるのは当然かもしれないが、Yさんと私は実の親子であるはずもなく、何の権限があって、聞きもしないで他人の結婚を決めているのだと腹が立った。そして、私が知らなかったこととはいえ、Zさんは傷ついていた。だが勝手に傷つかれても、私も困った。この後、YさんともZさんとも疎遠になった。

3 紙一重の庇護と押し付け

この一件は、私にとっては、調査内容や研究の意義をよく理解してくれていた大切な協力者との関係悪化であり、調査上の機会喪失にもなった。Yさんの口癖は「日本の女学生がインドまで来てわれわれのために調査している」で、私が独り歩きすることや単独で調査に出ることは決して許さず、出かけるときはYさん自身かYさんの関係者が必ず同行し、基本的にドア・トゥー・ドアで送り迎えをしてくれていた。それを私は煩わしく思ったり、文句を言ったりしたこともあるが、当初は「郷に入っては郷に従え」に倣い、比較的従順にYさんからの世話を受け入れていた。彼からみれば私は完全な庇護対象だったのに、急に手のひらを返して歯向かったように映ったのかもしれない。だが仮にそうだとしても、やはり理不尽だと思う。この一件は、いわゆるセクハラ案件ではない。だが、私が「守られるべき」未婚の女性で学生でもあり、Yさんより圧倒的に「劣位」の「弱者」だったから起きたのだと思う。彼の意図に沿って意思決定・行動することを期待されていたのに、そのように振舞わず、Yさんの考える規範を「逸脱」したことに対して私は圧力を受け「罰せられた」形になった。未婚で学生で教えを乞う立場であることが社会的未成熟を意味し、劣位だったとしても、もし私が女性でなかったら、こんな展開にはなっていなかったのではないかと思っている。

V おわりに

以上、私が学生であったときに経験したことは、女性としての属性に加えて、年齢が若いことに起因する社会経験の不足と庇護対象とみなされていることによるところが大きかったのではないかと考える。本稿で挙げた事例は、特に「調査者の劣位」が関係していると思う。フィールドワーカーとして、現地の人々の言説を尊重し、学ぶ立場にある者として、異なる価値観や状況を受け入れようとする姿勢は、相手の出方次第で、あるいは相手の世界観の中で、容易に上下関係や権力関係に置き換えられてしまう。この置き換えが起きるとき、主導権を握っているのは調査対象者や協力者であるため、概して調査者/フィールドワーカーは無力である。相手との関係を壊さないため自分に不本意な忍耐を強いるか、あるいはその人を通じた調査の設計を変更しなければその場から逃れることは難しい。フィールドの変更を余儀なくされる場合もあろう。とはいえ、物理的な暴力を伴う被害にあうよりは、調査地の変更や調査設計のやり直しは、何とかなる部類の困難だ。

劣位にしろ、悪意や邪な欲望にしろ、顔見知りの行為だということに最も苦しめられる。それなりの時間を経てお互いの顔を知り関係性を構築してからのコトなので心理的ダメージは大きい。こちらが調査・研究上の成果や次の業務への接続に執着していればなおさらだ。被害にあった直接的行為の記憶はねっとりとした澱となっていつまでもへばりついており、きっかけがあると時折思い起こされて気持ちが悪くなる。同時に、自分自身にも功を焦る気持ちや失うものを恐れて口をつぐんだという後ろめたさのため、誰かにシェアすることもままならない。自分の器が小さいことを暴露するのに似たところがあるからだ。

身体的被害はそれほど大きくないにもかかわらず、私はずっと誰にも話してこなかった。これだけのことでもなかなか気持ちの整理はつかなかった。だが、被害にあったことを語らないこと・声を挙げないことは、自分自身の尊厳を踏みにじり自らの心を殺すことになると思う。身体的な被害を実際にこうむっていればなおさらだ。身体が傷ついた以上に心を傷つけてはいけないと思う。

現地の人びとと交わることで人間社会の機微を理解する学問の根本にフィールドワークがある。これからフィールドに入る人たちには、私の体験したこれらの事例が予防や対処の選択肢の参考になればと思う。また、誰かが小さくても何かしらの声を挙げたとき、聞き逃さないで欲しい。フィールド研究を志す者なら声なき声も聞くことができると思う。すべてのフィールドワーカーが自らの尊厳を守りつつ、無事に調査・研究を遂行されることを心から願っている。