若い女性が単独で外出するリスク:バングラデシュの事例

キーワード
ハラスメントの種類:セクハラ/性暴力
当時の加害者の属性:見知らぬ人、男性
当時の被害者の属性:学生、女性
フィールドワークの種類:学術研究(学生)
地域:南アジア
内容:体験の内省・振り返り

I はじめに

2001年から2003年までバングラデシュの首都ダッカに居住し、その周辺や遠隔地域に通いながらフィールドワークをしていた。当時の私は20代の学生だった。そこでの経験を以下に記載する。

II 当時の時代背景とバングラデシュの情勢

当時は、アメリカで9.11(同時多発テロ)が起きた直後の時期だった。国家としてのバングラデシュは「穏健なイスラム教徒」を標榜しており、民主的かつリベラルなイスラームの自負があるので、テロ行為に及んだ一味を非難はするが、民衆の心情としてはオサマ・ビンラディンを有能な指導者ととらえている人も多く、ビンラディンの写真がプリントされたTシャツやグッズが、市場である種のヒーロー・グッズとして販売されており、「アメリカ」をある種の敵と考える人々も一定数いた。ダッカに立地するアメリカ大使館には簡易の爆発物が送りつけられたりしており、厳重な警備体制が敷かれているような時勢だった。ダッカでは欧風の外的特徴をもつ外国人を「アメリカ人」とみなし、時に暴力沙汰も起きていた。日本はアメリカの同盟国として、暴力のターゲットにされた向きもなくはないが、おそらくそれまでの日本のイメージが良好であったことから、アメリカ大使館が受けたほどの攻撃を日本大使館は受けてはいなかった。

9.11以前のバングラデシュの社会状況として、1990年代に輸出向け縫製産業が発展した影響で、女性の就労のあり方、農村から都市への人口移動、ジェンダー規範のあり方などが大きく変容していた。農村出身の、特に未婚の女性たちが、非熟練の安価な労働力としてグローバル資本主義に巻き込まれ始めていた。つまり未婚の女性たちが都市に移住し、既に都市部に居住していた女性も賃金労働のために家を出て働くようになっており、女性が戸外で可視化されるようになっている時期であった。この時期には、サルワール・カミーズ1南アジアに見られる女性の衣装。サルワールはズボン、カミーズは丈が長めのトップスを指す。姿で頭にスカーフをかぶり職場へ出勤する大量の女性の存在が朝の風景であった。パルダ2パルダは、北インドからバングラデシュにかけて見られる、成熟した女性の身体を近親者以外の男性の視線にさらさないようにする慣習。具体的には、部屋を男性用と女性用に分けたり、女性がスカーフや長衣などで身体を覆ったりする。で体を覆い、スカーフを頭にかぶせるサリー姿も見受けられるが、圧倒的にサルワール・カミーズ姿が多かったように思う。サルワール・カミーズが想起させるのは、未婚もしくは既婚であっても活動的な女性である。

III 外出時に遭った痴漢行為

私はダッカに借りた賃貸の部屋に単身(独身)で居住していた。私も調査時や日常の買い物に出るときは、洋服ではなくサルワール・カミーズを着用していた。ただ、外国人も多く居住する近所のエリアで行動する際には、ドゥパッタ3サルワール・カミーズと一緒に着用されるロング・スカーフ。で胸を隠しはしても、頭は覆っていなかった。モンゴロイドである私は、バングラデシュではどのみち非ムスリムの「マイノリティ」に分類されると思っていたし、実際、単独行動の際は日本人としてではなく、バングラデシュの少数民族であるチャクマだと思われることが多かった4バングラデシュの少数民族の大部分は、仏教徒またはキリスト教徒である。チャクマは基本的に仏教徒である。。顔つきや所作からそう思ったのかもしれないが、言葉を交わすときには英語は使用せず、たどたどしいベンガル語かそれなりに話せるヒンディ語を使用していたからかもしれない。だがいずれにせよ、いわゆるバングラデシュにおける多数派の民族であるベンガル人とは顔つきや肌色が異なるコミュニティの人間だと理解されていたと思う。外見はどうしようもないという思いがあった。

日中に、日用品の買い出しに1~2㎞の距離のマーケットに行く時、徒歩だと人混みにかこつけてすれ違いざまや後ろから体を触られる経験を嫌というほどしていたので、サイクルリキシャ5三輪の自転車の後部座席の高い位置に、人や荷物を乗せられるようになっている人力の自転車タクシー。が見つかればそれに乗って移動していた。サイクルリキシャに乗ると、車幅があるので真ん中に座れば体の左右はスペースを確保できるし、座る位置が1mほど高くなる(通行人の肩の高さくらい)ので比較的に安全で快適に移動できた。リキシャの運転手にハラスメントを受けたことはないが、人混みが多いと、人の海の中にサイクルリキシャが突入することになり、運転手は声を出して通行人に注意を促しながら人海を進むことになった。そういう時は、どんなにこちらが注意していても、手を伸ばして太ももや臀部の側面・脇腹を触ってくる男性がいた。間に合えば、その手を叩いたり、人が特定できれば大声をあげて文句を言ったりするが、言われた当人はへらへら笑っている。こちらはもちろん不愉快だが、リキシャを止めてまで抗議したり警察などへ届け出たりすることまではしていない。私は、この程度の痴漢行為は、「仕方ないこと」として受け入れていた。 だが私の中では受け止めきれず、以後、単独行動をせず、可能であれば男性を同伴するようになった契機は、以下に述べる事件だ。この時は血の気が引く思いをした。

IV 大きな市場で起こった事件

町の南部にある大規模なマーケットに行った。正午前後の時間帯だ。休日には大賑わいしているこのマーケットは生鮮食品から衣料、家電まで何でも売っている大きな市場で、男性が数として圧倒的に多いものの、売り手も買い手も老若男女がいた。私はいつもどおりサルワール・カミーズで、不特定多数の人が多いこのような場ではドゥパッタを頭にかけて、髪と胸を隠して買い物をしていた。顔は出ていた。比較的大きな通りを歩いていた際、白昼堂々、10代後半か20代前半と思しき男性に、すれ違いざまに右胸を掌でわしづかみにされた。驚いて一瞬息を飲んだが、すぐさまその男性にヒンディ語で文句を言った。男性は立ち止まりこちらを振り返ったが、にやにや笑っている。私は、「あなたが真のイスラム教徒ならこのようなことを女性にするのは恥ずかしくないのか」、「神はあなたの卑劣な行為を許すのか」とまくし立てた。私が調査した経験のあるインドでは、通常こういうとき、周りの野次馬の中から年配の男性か女性が出てきて被害者を擁護し、加害者をたしなめることによって、事態は収束した。

しかしこの時は、いくら私が騒ぎ立てようが、当の加害男性はへらへら笑いながら、「<異人>が何か言っているぞ」風なジェスチャーを周りにして謝りも立ち去りもしないし、何も言葉を話さなかった。騒いでいるのは私一人だった。徐々に人だかりができて見世物のようになっていた。最初は頭に血がのぼってカッカしていたが、周りが何も反応しないで見ている格好になっているので、ある意味、人垣で囲まれたショーのような様態になってきた。当の男性はまだいた。彼が何か攻撃してきたら逃げられないと感じた。彼が単独で行動していたらまだいいが、仲間がいたらどうしようという考えが湧いた。だんだん血の気が引いてきた。 周りの人も私を助けてくれるとは限らない。頭のおかしい女が変なベンガル語(おそらくバングラデシュの少数民族だからヒンディ語なまりの変なベンガル語を話すと思っているだろうと推測)でわめいているとしか思っていないのかもしれない。そもそも女性が一人で外出しているのが悪いと考えているのかもしれない。衆人は単なる傍観者になる可能性もある。複数のあり得る状況展開が頭を駆け巡り、逃げたいと思った。ここでもしドゥパッタをはぎ取られたり、もみくちゃにされたりしたら、大衆心理で取り返しのつかないことになるかもしれない。白昼の公共の場で発生した過去のリンチや強姦事件が頭をよぎる。とにかく立ち去ろう。この一心でその場を離れた。

幸い当該男性は追いかけてこなかった。だが、人をかき分けて進む間、何度も振り返ったし、オートリキシャ6サイクルリキシャ(注5参照)に電動モーターがついた、スピードの出るタイプのもの。で市場を離れたときも、つけられていたらどうしようと思って家には直行せず、別のエリアの店舗に寄ってから帰宅した。

V おわりに

バングラデシュという文化空間において、一見して「よそ者」的外見的特徴を持つ女性が単独行動をすることで負うリスクと危機管理の甘さを指摘することは容易である。マイノリティ研究の一環として、バングラデシュの少数民族の女性がさらされている状況を分析するということも可能かもしれない。だが、生物としての私は、身体の危険を感じ、正義の遂行より身の安全を優先して逃げることを選んだ。この一件以来、特に生活の面では単独行動はなるべく避け、可能であればなるべく男性を同伴するようになった。不必要に衆目を集めないための対応である。今でも、群衆の中で単独行動の際に匿名の誰かから被害にあったら、やはりまずは安全確保のためにその場から逃げることを優先すると思う。

ただし、調査となるとこの判断が功を奏すかどうかは一概に述べられないだろう。バングラデシュやインドでは、基本的に若い女性が単独で行動することは好まれておらず、常に誰かが付き添ってくれていた。特に野外排泄しなければならない村では顕著だったが、トイレでさえ一人ではなかった(こういう場合に付き添うのは、女性か1ケタの年齢の少年だ)。このように、単身(独身)で調査地に赴いている以上、いつも誰かに付き添われていたので単独にならないというのは難しいし、単独になること を優先すると外出を制限することになったりもする。同伴者がいれば私の身の安全は、多少は担保されるかもしれしないが、同伴者の属性やふるまいが本来の調査対象者の心理に影響を及ぼし、同伴者に聞かせてもよい内容の回答しか得られないかもしれないという別の問題があるだろう。そのジレンマを調整しつつ調査を設計・実行するしかないと思う。

  • 1
    南アジアに見られる女性の衣装。サルワールはズボン、カミーズは丈が長めのトップスを指す。
  • 2
    パルダは、北インドからバングラデシュにかけて見られる、成熟した女性の身体を近親者以外の男性の視線にさらさないようにする慣習。具体的には、部屋を男性用と女性用に分けたり、女性がスカーフや長衣などで身体を覆ったりする。
  • 3
    サルワール・カミーズと一緒に着用されるロング・スカーフ。
  • 4
    バングラデシュの少数民族の大部分は、仏教徒またはキリスト教徒である。チャクマは基本的に仏教徒である。
  • 5
    三輪の自転車の後部座席の高い位置に、人や荷物を乗せられるようになっている人力の自転車タクシー。
  • 6
    サイクルリキシャ(注5参照)に電動モーターがついた、スピードの出るタイプのもの。