目次
III 外国で「外国人」として暮らすということ
IIでは、私がアジア人男性として、現地の人々が関係する形で遭遇したハラスメントのケースをお話してきました。続いては、モロッコで「外国人」として暮らすなかで、意識した自身の外国人性についての経験をお話していきたいと思います。
1 現地への「同化」:フィールドでの宗教との付き合い方
在日外国人にたいして、「〇〇さんは、日本語も上手で、振る舞いも日本人みたいですね」というような「褒め言葉」を誰もが一度は発したことがあると思います。私も同様のことを言ったことがありますが、今考えれば、もっと適切な言葉があったのではないかと反省しています。
外国に長く暮らすことになれば、現地の言葉や言い回しを覚え、現地の食べ物に慣れ親しみ、立ち居振る舞いも徐々に現地の人々と同じようになっていくことも多いでしょう。私は、モロッコ滞在1年を過ぎたあたりで「モロッコ人化したね」とよく言われるようになりました。私自身もおどけて「第2の故郷」と、その町を呼んだりすることはあります。しかし、それは長く暮らした町に自分が馴染んだと考えたからで、あくまで私自身の思いであり、他の誰かに判断される/してもらう類のものではないと私は考えています。特に、この同化(あるいは同化への礼賛)が信仰の領域にまで及んでくると、一転して相当のストレスになります。
ちょうど私のモロッコ滞在が1年を過ぎたころから、喫茶店やタクシー、市場などで見知らぬ人と行きずりの会話をしていると、相手に「なぜアラビア語を話すのか」と聞かれるようになりました。アジア人男性が片言のアラビア語だけならまだしも、会話を維持することのできるアラビア語を操るのは珍しかったのでしょう。理由を聞かれた時は、いつも勉強や研究のためと答えていました。
こういった会話は「そうか、アラビア語うまいね。研究頑張って」と相手が言ってくれて終わることも多いのですが、私がムスリム(イスラーム教徒)かどうかを訊かれることもしばしばありました。この質問に対して、私は常に「仏教徒」と答えていたのですが、改宗勧誘は私がこのように答えるところから大抵の場合、始まりました。
これは私の個人的な意見ですが、イスラーム圏で他人から自身の信仰は何かと尋ねられた場合、たとえ熱心な信者でなかったとしても「仏教徒」や「キリスト教徒」などと答え、「無神論者」と答えることは控えたほうが無難です。これは、「無神論者」よりも「異教徒」のほうがまだ「マシ」だと、一般的に思われているからです。私自身、熱心な仏教徒とは言えませんが、無神論者と言い切れるほどでもなかったので、上に書いたとおり「仏教徒」と答えるにとどめていました。一方で、ヨーロッパ出身の年の若い私の友人たちのなかには、この質問に対して「無神論者」と答えて、現地の人たち(ムスリム)と宗教談義を繰り広げる人がいたことも確かです。こういった反応には、私の友人たちのそれぞれの宗教事情や個人的な経験、信条が関係していたのだと思いますが、信頼のおける友人や研究者、宗教指導者などと宗教談義をするのと違って、行きずりの人々と感情的に宗教談義をしても疲れるだけですし、トラブルのもとになる可能性も高いので、お勧めできません。
さて、イスラームへの改宗勧誘に話を戻しましょう。私に勧誘を行う人には男性も女性もいましたが、彼らの誘い文句は「あなたはアラビア語がそんなにできるんだから、クルアーン(コーラン)を読んでほしい」や、「あなたを過ちから救いたいから」、「仏教について教えてくれ。そうしたら、イスラームの素晴らしさについて教えてあげる」などのものでした。私にとってこういった勧誘をされることは、大きなプレッシャーでしたし、あまりにも勧誘がしつこいと、「あなたの方こそ仏教に改宗してみませんか?」と言い返したくなるときもありました。しかし、イスラーム信仰への勧誘は「善行」であるとみなされる社会のなかで、宗教的にも国籍的にも完全な少数派のアジア人男性である私には、丁重にお断りする以外の選択肢はありませんでした。このような改宗の「お誘い」は、誰にでも起こる可能性はありますし、私の場合は拒否したにもかかわらず、男性たちの前でイスラームの信仰告白を言わされたこともありました1信仰告白(シャハーダ)とは「アッラーのほかに神はなく、ムハンマドは神の使徒である」という文言で、ムスリムに課された宗教的義務の一つでもある。イスラームへの改宗の意図をもって、この文言を成人ムスリム男性二人の前で唱えることで、イスラームに入信したとみなされる。。
もちろん、大学教員や大学生、大学院生などをふくめ、きちんと教育を受けていて、外国人とも交流がある人々のなかには、この手の改宗勧誘に大変批判的な人が多かったことも事実です。私のモロッコでの指導教員も、私の身におきた改宗勧誘の話をすると、「アラビア語が話せることとムスリムであることは別だし、信仰に強制は禁物だと、クルアーンにも書いてあるのに!」と怒ってくれました。また、アラビア語の先生(モロッコ人女性)はムスリム男性が結婚に際して交際女性の非ムスリムをイスラームに改宗させたり、ムスリム名を名乗らせたりすることにも大変批判的でした。
また、改宗勧誘は、イスラーム圏だけではなく、キリスト教圏でも遭遇します。私自身もスペインでカトリック信者から勧誘を受けたことがありますし、スペインへ留学していた私の友人は、キリスト教系の新宗教の信者家族のもとにホームステイをしており、何度か勧誘を受けたり、彼らの宗教活動に参加させられたりしていました。その友人が、ホストファミリーについて「いい人たちだけど、宗教談義とその後の入信勧誘を断るのが大変」と語っていたことを今でも覚えています。
ここで紹介したような、改宗勧誘をハラスメントに入れるのは如何なものか、と思われる方もいると思います。しかし、外国で宗教的にも圧倒的な少数派として暮らすなかで、多数派の人々から宗教的な同化を促されることが、精神的な負担になることは確かだと思います。
2 現地にいる外国人や日本人との付き合い
最後に、現地に滞在する他の外国人や日本人との付き合いについての経験ですが、「I はじめに」で書いたとおり、滞在理由は人によって様々です。どんな目的で滞在するにせよ、犯罪行為に手を染めなければ問題はないのですが、モロッコ北部では、マリファナを路上の売人から購入することが容易なため、外国人の中にも、マリファナを目当てにモロッコにやって来る人は少なくありません。観光地に行けば「100%ナチュラルなハーブあるよ」と堂々と勧めてくる売人もいますし、現地で知り合った人から勧められることも多いので注意しましょう。モロッコではマリファナの使用や販売が合法であると勘違いしている人も多く見られますが、娯楽目的での販売や使用は現在でも禁止されています22021年5月26日に、モロッコ下院議会は、医療用および産業用目的でのマリファナの栽培と販売を合法化する法案を承認したが、娯楽目的の使用は違法のままである。https://www.europapress.es/internacional/noticia-camara-baja-parlamento-marruecos-aprueba-legalizar-cultivo-comercializacion-cannabis-20210527091707.html(2021年8月31日閲覧)。薬物に限らず、滞在する土地の法律に抵触する行為などに加担しないように気をつけることは、安全なフィールドワークを行う上でとても重要です。
また、自分の国のルールがモロッコでも通じると考える外国人はとても多いです。ある時、町にある軍事施設の写真を許可なく撮ったドイツ人は、それを兵士に見とがめられスマホの写真データを消されていました。彼は「ドイツでは軍事施設を撮ったってこんなことをされない」と憤慨していましたが、モロッコにいるのにそんな発言してしまうところが、非常にヨーロッパ中心主義的な考え方で、たまらなく不快な体験でした。
このほかに、モロッコでは基本的に非ムスリムがモスクに入ることは禁止されているにもかかわらず、アラビア語が話せることを悪用して、「自分はムスリムだ」と偽り、モスクの中に入っていったスペイン人もいました。彼は「モロッコ人だって教会に入るんだから、自分がモスクに入っても構わないはずだ」とうそぶいていましたが、これは現地の慣習やルールを尊重しない行為であり、私にとって先の例と同様に、良い反面教師となってくれたことは確かです。
ここで、ヨーロッパ出身者の例だけを挙げるのは公平性に欠ける気もしますので、最後に日本人の例を挙げましょう。私が現地で出会ったある日本人は、私と同じ語学学校に通っていたのですが、マリファナを売人から買って日がな一日吸っていました。そのためか、授業もサボりがち、あるいは酩酊状態で学校に来ることも多かったので、語学学校の先生から私に「お前、同じ日本人なんだからどうにか言ってくれ」と頼まれましたが断りました。同国人だからといって、関わりたくない人と関わるのは大変危険です。「嫌だ」と意思表明をすることは、外国に「外国人」として暮らす上で、最も重要なスキルの1つです。
IV おわりに
通常、海外でのフィールドワークについて語る場合には、学術的な発見や海外の研究者との交流など、ポジティブな面に注目が向かいがちです。一方で、今回私が紹介した経験は、研究者が日頃あまり語らない、もしくは語ったとしても講義やゼミ、そして飲み会のなかで「笑い話」として消費してしまう類のものでしょう。私の場合も、友人や家族に「変わった出来事」や「笑い話」として話すことで、自分の感情に対処してきました。そこには、男性が電車で痴漢の被害者となる経験などと同じく、経験を「真面目」に語ることへの恐れがあったのだと思います。
もちろん、深刻に真面目に語れば問題が解決するということではありませんが、今回このような形で自分の経験を内省できたことは、私にとっても望外のことでした。この体験記が、フィールドワークをこれから行う人たちにとって、何らかの参考になれば幸いです。
最後に1つだけ、これからフィールドワークに向かう人にアドバイスをして、筆を置きたいと思います。海外に行く場合は、それが長期であれ短期であれ、必ず旅行保険をかけましょう。「たびレジ」への登録は忘れずにする人が多いのですが、海外旅行保険は高価であることもあってか、特に大学院生の中には保険をかけないで出かけてしまう人も多いのが実態です。もちろん、保険のお世話にならないことが一番良いのですが、いざという時に保険はとても心強い味方になります。例えば、私はスペインでパスポートを紛失した時に、その再発行にかかった手数料などの諸費用を保険で補償してもらいました。フィールドワーク経験者ほど自分は大丈夫と思いがちですが決して油断せず、クレジットカードの付帯保険でも良いので、必ず保険をかけてから出かけることを強くお勧めします。