イスラーム圏における女性のフィールドワーク—バングラデシュの場合

Ⅱ 調査で直面した困難・危険(フィールドワーク中に遭遇した具体的な危険、体験から学んだこと)

1 ビザがない!

 私がはじめてバングラデシュに行ったのは学部2年生、19歳のときでした。私と指導教員だけでなく、他大学教員や学生をあわせて10人程度の団体渡航でした。バングラデシュの首都と村には教員が長年付き合いのある現地の教員(以下、K先生。私の出身大学卒で、同大学に教員としても数年間赴任)の家とNGOがあり、そこが教員・学生たちの滞在拠点となっていました。現地での移動や食事、宿泊はすべてK先生がコーディネートしてくれました。長距離を移動するときは必ず運転手付きの自動車でした。近距離では徒歩やリキシャ(三輪車に人が乗る荷台がついている人力車)に乗ることもありましたが、1人で出歩くことはまずありませんでした。学部生のときのフィールドワークは、今思えば、しゃがめば簡単に腰が丸見えになってしまうとんでもない格好をしていました。しかし、K先生をはじめとする教員に守られ(K先生には、通りすがりの子に撮った写真を見せるためにデジカメを差し出しただけで、「盗られちゃうよ」と注意されました)、団体行動をしているときは何の危険にも遭遇しませんでした。しかし、それが大きく変わったのが、4年生時の2009年6月、卒論調査のためにはじめて1人でバングラデシュに行ったときでした。

 まず直面したのが、ビザなしでの入国審査です。それまでの団体渡航のときにはビザ(査証)の手配も教員に任せていたので、2019年2~3月に団体渡航した際のビザがまだ有効だと信じ込んでおり(有効期限は切れていませんでしたが、シングル・エントリーのビザでした)、空港で入国しようとしたところ、ビザがないということで入管警察に足止めされました。2020年現在も、バングラデシュに日本人が行くにはビザが必要ですが、ダカの空港到着時にアライバルビザを無料で取得することも可能です(ただし、Covid-19の影響もあり、ビザに関してはルールが突然変わることがあるので、渡航前にしっかり確認することが必要です)。このときの私は、アライバルビザの存在さえも知りませんでした。入管警察は特別措置として2週間滞在できるビザを発行してくれましたが、それでは帰りのフライトまでに期限が切れてしまいます。そこで、K先生に頼んでビザ延長の依頼状を書いてもらい、後日首都のパスポートオフィスで申請しました。しかし、新しいビザ発行の前に、空港で出してもらったビザは切れてしまいました。バングラデシュでまさかのオーバーステイ…。そんなときに、当時から通訳兼ガイドをしていた夫(以下、S)が初対面の警官の前で、「この人、ビザないんだよ」と爆弾発言。「ちょっとー!!何言ってくれてんの?!」と焦りましたが、その警官からは「ここはバングラデシュだから問題ないよ!はっはっは…」と受け流され、肩すかしをくらいました。なんとバングラデシュではオーバーステイした外国人への罰則は1日200TK(1TK=約1.3円)支払うだけだったので(2009年当時。2020年現在の規定については要確認)、滞在・出国も、その後の再入国も問題なくできました。これがもし日本のようにオーバーステイした外国人を収容、強制送還、再入国拒否する厳しい国だったら…と思うと今でも恐ろしいです。

2 夜の1人歩きで…

 次に遭ったのがセクハラです。はじめて1人で滞在した時、私は出身大学の先輩(日本人)が働いている首都のゲストハウスに泊まっていました。そこで提供されるのは朝ごはんだけなので、他の食事は近くのスーパーショップなどに行かないといけません。夜、私がゲストハウス近くの大通りを歩いていたら、後ろから走ってきた若い男性にお尻を触られました。「ぶつかっただけ…?それにしては触り方がわざとっぽいような…」と最初は戸惑いましたが、その男性はそのあとも私の後ろをついてきて、私が警戒して店に入ると入口で私の様子をうかがっていました。そのとき私は怖さよりも「やっぱり確信犯か!」という怒りでいっぱいになり、ゲストハウスまで全力疾走して男性を巻きました。しかし、その男性の足が遅かったからよかったものの、他に仲間がいて人気(ひとけ)のない道で捕まっていたらどうなっていたでしょうか。こういう時は1人で下手に動かず、お店の人や信頼できる人(ゲストハウスの先輩など)に電話で助けを求めるべきだったと思います。そんなことで電話するなんて迷惑じゃないか…と気が引けてしまうかもしれませんが、何か起こってしまってからの方がよほど迷惑になります。身の危険を感じた時は、躊躇せずに信頼できる人に頼った方がよいです。

 バングラデシュの特に都市部では、頭を覆っていないムスリマ(=ムスリム女性)も多いですが、服装について言えば、ムスリムだけでなく、ヒンドゥーなど他の信徒の女性も露出が少なく身体のラインがでない衣装(サルワル・カミューズ)を着ています。ヒンドゥーの女子大生が身の安全のためブルカ(ムスリマが着る長衣)を着ているという話を聞いたこともあります。私も修士1年生からブルカを着てオロナ(女性が髪や胸まわりを覆う大きめの布)を頭に巻くようにしてから、セクハラに遭わなくなりました。私が学部生のときに着ていたTシャツ・短パンにレギンスやジーンズといった格好の女性は「よくない女だ」と思われる傾向があり、簡単に男性を挑発してしまうようです。また、残念なことにバングラデシュ人の中には、ノン・ムスリム(欧米人や日本人など)に対して「性に解放的」「性に関するタブーがない」というステレオタイプを持っている人がおり、外国人が性被害に遭いやすいということもあります。学部生時に私が交流していた同世代の日本人女子大生たちからも、私と同様な被害が聞かれました。もちろんセクハラする男性が悪いのは言うまでもありませんが、こちらも挑発しないような格好をしておくのが万全な対策になります。

3 服装は信頼関係の構築とテロ対策においても重要

 露出が多かったり身体のラインがくっきりしていたりする服装は現地の女性にも嫌われてしまう可能性があります。ある方のバングラデシュ滞在記で読んだのですが、以前ある村に日本人女性がキャミソール・ミニスカで行ったことがあるらしく、その村のおばあさんには日本人女性=ショイタン(悪魔)というイメージがついてしまっていたそうです(そのため、その滞在記の著者=日本人女性も「悪魔」扱いされたそうです)。フィールドでは自分が日本人代表として見られてしまうということを自覚し、フィールドの人びとと信頼関係を築くのに妨げにならないような服装を選ぶとよいでしょう。男性もイスラーム圏ではランニングに短パンといった服装は避け、特におへそから膝は必ず隠れるようにした方が無難です(バングラデシュではルンギ=男性の腰巻をふんどしみたいにまくしあげる人もいますが、イスラームでは男女ともに家族であっても配偶者以外にはおへそから膝までを見せないようにするのがルールです)。バングラデシュでは例年デング熱が流行しているので、昼間に蚊に刺されないようにするためにも、露出の少ない服がおすすめです。

 ちなみに、一般的なモスクでは、ノン・ムスリムでも女性は香水の使用を控え、肌の露出が少ない服装で頭が覆うのがマナーになっています。バングラデシュのモスクは通例、女性用スペースがありません。預言者ムハンマドは「女性がモスクに行きたいのならそれを禁じないように」と言っていましたが、南アジアで主流なスンナ派のハナフィー学派では、ムハンマドの死後、妻のアーイシャが「預言者が生きていて今の女性たちがしていることをご覧になったら、女性がモスクで礼拝することを禁じただろう」と言ったことなど、様々な理由から女性がモスクに行くのはよくないとされています。しかし、私がフィールドにしていた村はハナフィー学派ではなかったので、モスクに女性用スペースがありました。このように中に入る機会があるかもしれないので、上記のマナーを守れるようにしておくとよいです(スカーフを1枚携帯しておくなど)。

 服装はセクハラ対策やフィールドでの信頼関係という問題だけでなく、テロ対策という文脈においても重要です。バングラデシュでは外国人が珍しく、地方では特に目立ち、注目の的になります。私が普通の日本人っぽい格好をしていた学部生のときや、日本人の教員や学生といるときは、どこでも外国人を一目見ようと人が集まってくるので人だかりができてしまいました。目立つということは、それだけ標的になりやすいということです。私はSと結婚しムスリムになって、ブルカとニカーブ(目以外の顔と髪、胸元を覆う布)を身に着けるようになってからは日本人だと気づかれなくなり、見世物小屋状態になることがなくなりました。そのため、女性がテロに巻き込まれるのを警戒するのであれば、フィールドでのニカーブやブルカの着用はおすすめです(ただし、慣れていない人は季節によっては熱中症になるかもしれないので注意してください。また、派手な色や柄のものを常に身に着けていると逆に特定されやすいので、地味で目立たない色・柄の方がよいです)。私の共同研究者の先生(ノン・ムスリムの日本人女性)や、その方のお知り合いのインド人研究者(ノン・ムスリム女性)の方もテロ対策のためにブルカを着ているそうです。ノン・ムスリムが着てもいいの?と思うかもしれませんが、問題ありません。ただし、ブルカやニカーブ、ヒジャーブ(髪と胸元を覆う、顔は出るタイプの布)は女性のためのものです。男性が現地の服装をしたい場合は、パンジャビ(ゆったりした長衣)やルンギ、トゥピ(礼拝時の帽子)などを着用してください。中東でよく見るクーフィーヤ(男性用の被り布)は、バングラデシュではイマームやイスラーム学者しかほとんどつけていませんが、イカール(クーフィーヤを固定する輪っか)なしで巻いている人を時々見かけます。

 なお、研究のための渡航では現地の大学に行く機会もよくあるので付言しますが、バングラデシュの大学は決して安全ではありません。政党の学生団体間の衝突やテロリストによるリクルートは往々にして大学のキャンパスが舞台となっています(教員がリクルーターとして逮捕されたケースも複数あります)。日本の大学のような感覚で安全対策を怠ると危険に巻き込まれるかもしれないので、注意が必要です。

4 ローカル・バスでうたた寝

 私は上記の団体渡航の時には、渋滞に巻き込まれることはあっても運転手付きの自動車で悠々自適に移動していました。しかし、1人での滞在では足がなく、流しのリキシャやCNG(三輪タクシー。乗合の場合もある)、ローカル・バスを自分で捕まえて移動しなければなりません。学部生のときは、特に首都では土地勘もなく、リキシャでは到底いけない遠い目的地なのにリキシャに乗り込み、途中で気づいてCNGに変えたものの高額な運賃を請求されたり、「〇〇に行きたい」とまったく見知らぬ人に尋ねて連れて行ってもらったりしていました。後者のケースでは目的地と違う場所に向かっていると気づき、途中下車したこともあります。「私もそこにいくからあなたも乗ったらいい」と言われて乗り込んだリキシャで、肩を抱いてくるおじさんもいました。

 こうした状況を見かねたSは、私の宿泊先のすぐそばが路線になっているローカル・バスの乗り方を教えてくれました。一度私と一緒にバスに乗り、宿泊先近くでおりて宿まで送って行ってくれたのです。それから私は、CNGよりもローカル・バスの方が大幅に運賃が安く(CNGは乗客1人で特に夜間だと別の場所に連れていかれ、犯罪に巻き込まれる可能性もあります)、またバングラデシュのバスは女性用の席が別に設けられていることもあって、安心していつもそのバスを使っていました。しかし、1人で乗っているとすることもなく、調査をして帰る時間はすでに暗くなっていることがほとんどだったので、どうしてもうたた寝をしてしまいました。運賃を集めるコンダクターのお兄さんに、「おい、あんた、どこで降りるの?」と起こされたこともあります。私は幸いにも、何事もありませんでした。

 しかし、当時(2010~1年頃)もローカル・バスに乗っていた日本人がグループに囲まれ、意識を失わされて身ぐるみはがされたという事件を耳にしましたし、今のバングラデシュの治安からしたら夜のバスでうたた寝なんて、恐ろしくてできません(Sも、今は1人でローカル・バスに絶対乗せられないと言います)。今、私は子どもを連れていることもあって、運転手付きの自動車か、CNGで移動しています。特に学生の方は少しでも費用を抑えたいと考えがちですが、「安かろう悪かろう」なサービスを選んで危険な目に遭ったら元も子もありません。これは移動手段だけでなく、宿も同じです。少々高くても、セキュリティがしっかりしたものを選んだ方がよいです。また、移動を最小限にできる宿を選んだり、調査計画を組んだりすることも大切です。