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III 今後に向けてのメッセージ
ⅠとⅡで紹介した私と学生の体験談は、いずれも、「何事もなかった」という範疇に整理されがちなエピソードだろうと思う。実際、同じことを経験しても、何ら問題に感じず忘れられている場合もあり得る(冒頭の私自身のエピソードは、そういうわけにもいかないストレートなハラスメント発言だったのかもしれない、と、この原稿を書き始めながら改めて気づいた)。
そこで、声を上げられる立場となった今、振り返って伝えたいことを幾つか挙げてみたい。一つ目は、男女問わず、若手育成や指導にかかわる世代の教員や「先輩」研究者に向けて、二つ目は、これからフィールドに向かおうという、学部生や大学院生に向けてである。
1 若手育成に関わる皆様へのお願い
(1)判断の選択肢を提供してほしい
国内外の宿泊を伴うフィールド調査に関連して多くの人にとって身近な課題ではないかと考えられるのが、上記Ⅱの1つ目のエピソードのように、経済的な配慮を目的とする、移動や宿泊時の同行のあり方についてである。何度も述べてきているように、全く問題ない場合もあり得るかもしれないが、たとえ不快、あるいは恐怖を感じていても、先輩と後輩、教員と学生という非対称的な関係性のもとでは、すでに決められてオファーされた提案を却下する力は、相対的に下位にある側にはないのだ、ということを理解して、まずは考えうる様々な選択肢を提供してほしい。
また、たとえ選択肢を提供したとしても、学生が自分自身の望む距離感を伝えにくい、といった文脈も十分に考えられる。さらに言えば、その時は問題視する考え方が本人に備わっていないだけで、後日、じわじわと課題となってくることもあり得るということである。よって、率直に言えば、経済的配慮が必要な場合であれば、なんらかの補助金制度を活用したり、定職に就いている側が、若手がシングル利用できるように宿泊費補助をするなど、別の手立てを講じて頂き、経済的根拠を理由に同室の選択肢が含まれてくること自体、果たして妥当な文脈であるのかどうかを十分にご検討頂きたい。
私自身が学生だった頃のことを遡って思い起こしても、アジア諸国での格安旅に長けていて、たとえばごろ寝に近い安宿に宿泊することにも慣れていたとしても、見知った異性の先輩や教員と二人で同室宿泊する、というのは全く異なるシチュエーションであり、それを選択肢なしで提示されることは考え難い。「知らない個人が安宿でごろ寝している」のとは全く異なる、ということに気づいて頂きたい。
(2)距離を縮めることはリスクを伴うこと
私自身の教員経験を通して実感していることは、日本で師弟関係等にある先輩後輩や教員―学生といった非対称的な力関係を伴う間柄において、年長者側から、身体的距離を縮めることは、それがどのような文脈であっても、場合によっては相手に違和感を覚えさせたり、不快を感じさせたりするリスクを負う、という事実である。こと「おおらかさの美学」とでも言うような感覚がよしとされがちなフィールドワークの現場では、指導する側も「おおらか」な振る舞いをしがちかもしれない。特に飲酒等を伴う夕食の現場は、要注意である。親愛の情は、敬意を持って、適切な距離をもって、励ましの言葉や、研究への丁寧な助言を通じて伝えて頂きたい。
2 これからフィールドに赴く人へ
(1)身体的な不快は、間違いなく100%Noと言ってよい文脈
私自身が気づけなかった、そして私のもとにやってくる女子学生たちも同様に、事後的にしか考えられなかった課題として、「その場で何かしら不快に感じたけれど、フィールドワークの一環として柔軟に受けとめてしまった」ということがある。フィールドならではの、柔軟さがもたらす判断の鈍さ、気持ちの落とし穴である。わたしがこれまで見聞きしてきた学生の体験談の中で今回紹介できなかった別の例では、実のところ、第三者には何が問題であるか、判断に迷うようなシチュエーションも含まれていた。それでも、決め手となったのは、当事者である本人が、極めて深刻に、あるいはじわじわと身体的な不快を感じ、気持ちの動揺や落ち込み、自分自身が悪いのではないかという自責の念にさいなまれるような状態に陥っている、という事実であった。
だから、たとえどんな場であっても、もしあなたが、身体的接触や他者からの発言に、自らが性的な対象として見られていると感じたり、身体的不快を覚えたりしたら、それは、拒否できる、拒否すべき事態なのだと察知してほしい。上に書けなかった、より深刻な例では、「せっかくフィールドワークなのだから」「この先も関係の続く相手だから」と自分を納得させようとして、でもできなくて、事後的に傷が深まっていた。この点について、ぜひフィールドへ向かう際にはアンテナをしっかり立てて、フィールドにおける「郷に入れば郷に従え」と、「小さな不快を我慢する」こととは絶対的に異なるのだ、ということを、知っておいてほしい。
(2)柔軟さと自衛は別物
ここまでに取り上げた事例は、たまたま、日本における師弟関係や先輩後輩といった、いわば研究者間の出来事だったが、これは、フィールドワークの受け入れ先との関係性においても、ぜひ自覚して自衛してほしい。現場で他者との良好な関係を構築して、その場における役割を与えてもらって、受け入れてもらって、そこで参与観察することを是とするフィールドワークでは、受け入れ先の地域や組織の人からの誘いや依頼を拒否することは、フィールドワーカーとして半人前であるかのような気持ちになりがちである。しかし、今回の例に近づけて言えば、一人暮らしの異性の住まいに一人で夜、宿泊を伴う形で訪問をしたり、一対一での飲酒への誘いをOKしたりすることが、相手に誤解を与え、「まったく悪気なく」身体的な距離を縮められるということが十分に考えられる。誰かを伴って訪問する、直後に別の予定を入れ、確実に「帰らなければいけない」シチュエーションを創出する、迎えに来てもらう手はずを整えておくなど、近づきすぎずにいられる方法を探ってほしい。フィールドワーク先での柔軟さと、自らの身を守るために求められる振る舞いは、時に合致しないが、優先順位は当然後者にあることを、忘れないでいてほしい。嫌な記憶に結び付くようなデータは、後にあなたを苦しめることになるから。