アジア人男性として受けるハラスメント ––外国に「外国人」として暮らすということ

II アジア人男性として受けたハラスメント

さて、ここからは私が現地モロッコで受けた嫌がらせ/ハラスメントの実例について述べていきますが、分類すると1が人種差別、2がストーカー、3が脅迫に相当すると思います。

1 アジア人に対する嫌がらせ:「ジャッキー・チャン」と「ブルース・リー」

これは、モロッコへ行ったことのある日本人を含むアジア人男性の大部分が経験したことがあると思いますが、「ジャッキー・チャン1日本語では、「ジャッキー・チェン」という発音が一般的だが、英語ではJackie Chanとつづり、モロッコ人たちも「ジャッキー・チャン」と発音することが多い。」や「ブルース・リー」と、現地の人から呼ばれました。上記の中国や香港出身の世界的スターの名前で呼びかけて来る、というのは、彼ら二人の映画がモロッコでも人気であることに加えて、彼らにとってアジア人=中国人という認識が支配的であることも大きく影響しているのだと思います。

無論、映画スターの「ジャッキー」や「ブルース・リー」に、私が外見的に似ているから声をかけているわけではなく、単純にモロッコの地方都市では数少ないアジア人を見て、珍しいものを見たと興奮して囃し立てていたのでしょう。そのため、小学校生くらいまでの子どもが言ってくるのであれば、仕方ないと諦められますし、目くじらを立てるほどではありませんでした。しかし、十代後半以降の若者や中年男性がこの呼びかけを使う場合、呼ぶ側の声色には単なるからかいを越えた蔑むような声色や、その表情から人種差別的悪意が明確に感じられたため、かなり不快でした。同様のケースで、韓国出身の有名ラッパーPSYの「江南スタイル」や「ジェントルマン」がヨーロッパのディスコで流行していた2013〜2014年には、私の目の前で「江南スタイル」のMVのモノマネ(ロデオのような有名なあのポーズです)をやる若者も多くいました。

また、子どもについても常に悪意がなかったわけではありません。ときには、小石やゴミを投げつけられ「チーノ」あるいは「シノウィー」(ともに中国人の意味)と、幼い子どもからからかわれることもありましたし、子どもたちからも、かなり悪意を込めた形でこの呼びかけを用いられたことはありました。ある日私が、モロッコ人の友人(男性)と歩いている時に、私に「シノウィー」と不躾に呼びかけた物売りの子ども(10歳未満に見えました)は、この友人にひどく怒られていました。これは、モロッコで見知らぬ成人男性へ呼びかけるときには、普通は「スィーディー(アラビア語のミスターに相当する言葉)」や「ムシュー(フランス語のミスターに相当する言葉)」などを用いるのですが、物売りの子どもが私に対してはこれらの通常の呼びかけではなく、「シノウィー」という言葉で呼びかけたことを、友人は失礼であるとして叱責したのです。つまり、モロッコにおいても見知らぬアジア人に「シノウィー」という形で呼びかけることは、失礼な行為であるという認識が存在しているということです。

ちなみに、ここで私は自分が日本人であるのに、中国人や韓国人と混同されることが不快だった、ということを言っているわけではありません。あるいは、「国際的なスターの名前で呼ばれるのだから悪い気はしないだろう」、「(アジア人の見分けがつかないのだから)現地の人には大して悪気はないのでは?」と言う人もいるかも知れません。しかし、上にも書いたとおり、見知らぬ人に「おい、そこの〇〇人」と声をかけるのは、「〇〇」の中身がたとえ私の国籍である「日本」であったとしても、大変失礼な行為ではないでしょうか。さらに、「ジャッキー・チャン」や「ブルース・リー」という呼びかけ、PSYのモノマネを私が嫌だと感じたのは、これらがアジア人男性(私)を明確にからかう目的で用いられていたからです。上記のような呼称を使って私を呼んだ時の若者や中年男性の顔は、ニヤケ面で、口調は明らかに挑発的かつ馬鹿にするような声色のものが多かったと記憶しています。この呼びかけを使った本人たちの意図がどうであれ、受け取るこちらとしては、継続的にこのような呼称で呼ばれることからくる精神的ストレスが溜まっていったことは紛れもない事実です。

なお、このような行為は、同じ町に長く住んでいると徐々になくなってきました。これは、私が「外国からきた珍しいアジア人枠」から「街に住んでいるアジア人枠」に分類されるようになったことと関係があるのかもしれません。付け加えるならば、モロッコ人の友人、とくに年かさの男性と一緒に出歩いている時にはこういったハラスメントはあまり起こりませんでした。それゆえ、モロッコ社会が常にアジア人に差別的である、というのは正確ではなく、場所や条件によって差別意識や行為が表出する可能性がある、といった方が正しいと思います。

2 同性からのストーカー行為・嫌がらせ

さて、上記の例と少し異なって、私がアジア人の男性として経験した「嫌がらせ」のなかで特殊なものとしては、住んでいた町の特定の男性(以下男性A)が、私を街中で見かけると、追いかけてきて常に「嫌がらせ」を行ってきたというケースがあります。

私が初めてこの男性Aと会ったのがいつだったのか、今では正確には思い出せません。思い出せなくなるくらい、何度も何度も彼にはまとわりつかれていたからです。この男性Aは、私を道端で見かけると、かなり遠くからでも「ジャッキー・チャン!」あるいは「ブルース・リー!」と叫びながら寄ってきて、両手のひらを合わせてお辞儀のマネ(おそらく中国式の拱手を真似ているつもりなのでしょう)をしながら、私の後を追い続けたのです。そのストーキング行為は、たとえ彼を無視しても止むことはありませんでしたが、彼は飲食店などの中には入ってこないので、喫茶店の中に入って彼が諦めて去るの待つこともしばしばありました。

また、私が喫茶店のテラス席に座っていると、彼がいつものように叫びながら近づいてきた後、目の前でカンフーまがいの演武を始めることも何度かありました。それは5分以上続き、最終的に給仕の中年男性が追い払ってくれるまで続きました。

このような「嫌がらせ」を見るモロッコの人たちの反応は、初めはおかしな寸劇でも見ているような感じでした。私自身も、初めは「なんだこの人?」くらいの気持ちでしたから、第三者であればなおさら事情が飲み込めなかったのでしょう。しかし、次第に町の人も、私がいつも男性Aに嫌がらせを受けているということを認識し始めると、眉をひそめる人も多くなっていきました。特に、私が通っていた喫茶店の店主の中年男性は、男性Aが私に近づくといつも追い払ってくれました。しかし、その手法は水をぶっかけるとか、シャッターを下ろす金属製の棒で叩くなど、かなり過激なものだったので、それはそれで私をヒヤヒヤさせました。

男性Aの嫌がらせは留学中の2年間、止むことはなかったので、私は街に出るのが億劫になるときもありました。幸運にも私は武道経験者でしたので、「あんなヤツ、いざとなれば…」と思うことで、自分を慰めて彼を無視し続けることにしました。この「嫌がらせ」は、実害らしい実害はなかったのですが、それでも私の精神状態を著しく圧迫したことは確かです。

3 「日本人は皆ぶっ殺してやる」と言われた

1、2は、継続的に行われた嫌がらせという点で私を悩ませましたが、続いての例は1回限りのものだったにしろ、明確に「殺す」と言われた事例です。

これは、私が自分の住んでいる町から、友人(日本人)が住む別の町に早朝のバスで遊びに行った日のことでした。モロッコの長距離バスには市内の循環バスとは異なる、専用の駅があるのですが、友人が迎えに来てくれるのを、私はその町の長距離バスの駅で待っていました。

しばらくすると、1人のモロッコ人男性が私に英語で話しかけてきました。私が接したモロッコ人は、良く言えば積極的、悪く言えば図々しい性格の人が多く、見知らぬアジア人にも積極的に話しかけてくることは珍しくありませんでした。それは、好奇心からの場合もありましたし、物乞いや寸借詐欺、ナンパなど目的は様々でした。

私に話しかけてきた男性の身なりは、いわゆる一般のモロッコ人中年男性という感じでしたので、私も彼に英語で受け答えをしました。初めに何を聞かれたのかは覚えていませんが、彼は私が日本人だとわかると、「日本人はビザ無しでモロッコに入れるのに、自分たちモロッコ人が日本へ入るにはビザが必要なのは差別だ」という、日本の出入国制度の不公平性について、ごく真っ当な批判をし始めたので、それには私も同意しました。しかし、男性はその後、ヨーロッパ人もモロッコにはビザ無しで入ってくるのに、モロッコ人の入国には規制をかけているし、日本人もその仲間の差別主義者だと、口調を徐々にヒートアップさせていき、日本や日本人一般について色々と口汚く罵りはじめました。この時、周りにいた男性たち(早朝だったためか、女性はほとんどいませんでした)は、私が罵られるのを遠巻きに見ていました。英語がわからなかったのかもしれませんが、おそらく面倒事には関わり合いたくなかったのでしょう。

興奮が頂点に達した男性は「自分に権力があれば、日本人なんて皆殺しにしてやる!」と私に向かって叫び中指を立ててきました。私も何かを言い返したと思いますが、ここに至ってようやく周りの男性たちが彼に何かを言って追い払ってくれました。そこにいた若い男性の1人は、「あいつは頭がおかしいから気にするな」とアラビア語で私を慰めてくれましたが、流石に面と向かって「殺す」と言われたのは大人になってからは初めてでしたのでショックでした。

それから10分もせずに、前述の日本人の友人は迎えに来てくれました。彼に私の身に今起こった出来事を話すと、自分はそんなことは言われたことがないし、この町は対日感情が悪い地域ではないので、不思議だと首をかしげていました。私も、この時以外にモロッコ人から「殺す」と言われたことはないので、これは例外的なケースなのかもしれません。

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    日本語では、「ジャッキー・チェン」という発音が一般的だが、英語ではJackie Chanとつづり、モロッコ人たちも「ジャッキー・チャン」と発音することが多い。