「怖かった出来事」と、その経験に対する周囲の反応 ─日本の某都市でのフィールドワークにて

IV 体験を振り返って、いま思うこと―ハラスメントと二次被害を防ぐために

 私が上記の体験をしてから、この文章を書いている現時点まで、20年近くの時間が経ちました。「怖かった出来事」から周囲の反応を経て、「自分が悪かったのだから我慢するしかない」と思うことで急場をしのぎ実際には傷を深めていた時期と、記憶に蓋をして過ごした時期と、医療機関の助けを借りながら「自分が悪かったわけではない」と認識し、自分が置かれていた状況や認識を振り返る時期を経て、今に至っていると思います。
 上記の体験を振り返って、体験談として共有したいことがあるとしたら、それは、「ハラスメントの発生を予防する環境設定」と、「周囲の反応による二次被害を防ぐこと」です。

1 ハラスメント予防の環境設定

(1)予防策を考えることはなぜ必要か

 一つ目の、ハラスメントを予防するための環境設定について具体的に書く前に、強調しておきたいことがあります。それは、「どのような状況でも、性暴力を行動に移した時点で、年齢・性別に関係なく、100%加害者が悪い」ということです。「予防は大事」だけれども、そのことは、予防できなかった被害者が悪いということを決して意味しません。
 例えば、車を運転していて歩行者に怪我をさせた人がいるとして、「見通しの悪い道路だった」「過労で睡眠不足だった」などの理由で、怪我をさせた罪はなくなりません。運転者は、見通しの悪い道路ではスピードを落としてよく注意する、眠ければ一度車を停めて休むなどの対策ができたはずです。車にひかれた側が「見通しの悪い道で車は事故を起こすものだ。そんな道を歩いていた歩行者が悪い」などと言われたら、そんな理屈は通らないことが分かるはずです。ですから私は、性暴力やハラスメントについて、それが加害者からすればやむをえないような状況だったとしても、行動に移した時点で「加害者が100%悪い」と断言しますし、加害行為の間違いを認め、しかるべき方法で償わなければならないと思います。
 被害者は、うまく環境設定が整わずに被害を受けたとしても、「予防できなかった自分が悪い」などとは、決して思わないでください。同じ条件でも、加害行動に及ばない人はたくさんいます。「魔が差した」としてもそれを行動に移したのは加害者自身であり、あなたがそれを受容する義務などないのですから。
 同時に、私は「多くの人は、『性加害者になりたい』などと望んでいないはずだ」と思っています。もちろん、性暴力を計画的に行う人もいるでしょう。自身の欲望のためにそこから抜け出そうとせず性暴力を繰り返す人もいます。しかし、ここで想定しているのは、「今のところ自分は性加害者ではないし、これからもなるつもりはない」と考えている人のことです。「自分は性加害者なんかにならない・なりたくない」という強い思いは何よりも重要ですが、それが、「性加害なんて自分とは違う『異常者』がすることだ」「自分には関係ない」という無関心につながると、知識を得ることも社会としての対策を考えることもできなくなってしまうのではないでしょうか。
 また、性暴力の常習者を作らないためにも、環境設定は重要です。たとえば、痴漢の常習者になってしまった人の調査からは、最初から計画的だったわけではなく、性加害の小さな成功体験を繰り返すうちに常習者になるというパターンが指摘されています1たとえば、斉藤章佳『男が痴漢になる理由』2017年、イースト・プレスなど。仮に「魔が差す」ことが起きたとき、それを実行できなければ、次のステップに進めない=加害者になれない(ならずに済む)のです。私が、予防に向けた環境設定について書く理由は、「望んでいないのに性加害者になってしまう危険性は誰しもにあること」を前提に、「意識的であれ無意識的であれ、性暴力が生じる可能性を最小にすること」が必要だと思うからです。 
 以下に書くことは、私がいま考える予防策や対策ですが、もちろん他にもあるかもしれません。文脈や状況に応じて、話し合いながら予防策や対応を考えてもらえればと思います。

(2)調査時の環境設定

 すぐにできる対策としては、インタビューの際、「第三者からの目が届きにくい密室を避ける」「移動手段を検討して準備しておく」「可能なら複数人で調査を行う」などが挙げられるでしょうか。これは調査者だけでなく、協力者を守ることでもあります。「魔が差す」「妄想する」こと自体は制御しにくいものですが、実行に移すことが困難な環境を作っておくことはできます。完璧にできなくても、「心構え」をしておくだけでもだいぶ違うと思います。
 また、指導教員の立場にある人は、学生に対して、上記のようなフィールドでのハラスメントのリスクや、ハラスメントを抑止するための対策について教えておく必要があると思います。教員の立場にある人に聞いてみたところ、「自宅でインタビューするときは、学生一人では行かせない」と決めている人もいるようです。
 なお、これは、よくある「男をみたらレイプ魔予備軍だと思え」という意味ではありません。そのような性差別的な物言いは、分断や対立を生むばかりか、悪質な性加害者に言い訳を与えて有害です。そうではなく、「多くの人は性加害者にも性被害者にもなりたくない」ということを前提にしながら、「魔がさすことや理性を失いかける場面が訪れても、実行に移せないように、環境を整えておきましょう」という構えなのです。

2 「周囲の人」は被害者にどう接するか―二次被害を防ぐために

(1)周囲の大人(教員や家族)へ

 ここでは、教員や親など、被害者の目上の人にあたる大人を想定しています。被害の程度や相互の関係性にもよりますが、もしも性被害について話をしてきたら、真剣に話を聞き、被害者への叱責や注意をすることには、幾重にも慎重であってほしいと思います。今は専門機関や相談窓口が整備されてきているので、所属先や近隣でのそうした機関・窓口を確認しておくと安心です。
 また、ハラスメント被害を受けた人への対応や話の聞き方(言ってはいけない言葉など)は、一般社会や家族関係でも役に立ちますから、研修に取り入れるとよいと思います。教員自身も一人の人間ですから、子どもや孫、パートナー、友人から相談を受けないとも限りません。そんな時にも役に立ちます。

(2)学生の皆さんへ

①「自分には関係ない」「自分には何もできない」と思わずに

 ここまで読んで、「自分には関係ない」「自分は性被害など受けたこともないし、今後受ける可能性など想像もできない」「被害にあった人はかわいそうだと思うけど、自分にはどうすることもできない」「警察や法的措置、医者などの専門家や教員が適切に対処するしくみを作ればそれでよい」と思っている人がもしいたら、ぜひ考えなおしてほしいと思います。
 確かに専門機関や法的措置は大切です。しかしこれらの機関や措置は、「ことが起きてから」その威力を発揮しますが、その手前ではなかなか機能させることが難しいのです。あなたのフィールドワークに警察や弁護士が毎回同行するわけでもありません。「被害」が起きないような環境は、日常生活の中で整えていく必要があります。また、残念ながら「被害」が起きてしまったとき、私がそうであったように、最初に打ち明ける相手は、専門家ではない家族や友人などであることが多いのではないでしょうか。ハラスメントを取り巻く「環境」の中に、あなたも必ず位置づけられているのです。
 それに、こうしたことを学んだり考えたりすることは、今は学生であったとしても、あなた自身の今後の人生にとって有益です。無知・無関心なままに社会に出て、「ちょっと魔が差して、もしくはそれが相手にとってのハラスメントとわからずに、加害者になってしまった」「こんなはずではなかった」と思うことになるかもしれません。学生時代から「ハラスメントが起きやすい/起きにくい環境設定」とはどんなものか、知識をもったり考えたりして備えておけば、そんな悲劇を減らせるでしょう。 
 社会に出たあと、自分の大切なパートナーや家族、もしくは一緒に働く職場の仲間などがハラスメントや性被害にあう可能性もあります。ハラスメントの被害を受けた人は、直後の周囲の反応次第で、さらに傷が深まるか、救われるか、大きく左右されます。一度深い傷が入ってしまうと、修復には時間と労力が要ります。できれば、あなたの周囲の大切な人の心に、深い傷を負わせたくありませんよね。どんな対応で被害者は傷つくのか、逆に救われたのか、知っておくことは決して無駄ではないと思います。
 想像力とは、「もって生まれた才能」ではありません。知識を持つことで、「想像できること」は増やすことができます。もちろん、人と人とのコミュニケーションにマニュアルや「攻略法」などありません。個々の相手をしっかりみながら、対話や反省を繰り返して信頼関係を作っていく「面倒」なものです。それでも、何の知識も持たず、逆に先入観に凝り固まって、相手や自分を傷つけ関係を壊しながら前に進むよりは、先人の知恵や知識を携えて、備えつつ進むほうが、ずっと希望を持って臨めます。
 フィールドワークは、学校の外の「社会」の一部と触れ合う貴重な経験です。せっかくですから、その社会の中にあるハラスメントの可能性やその対策について、自分のこととして考え行動する機会にしてほしいと思います。 

②具体的には何ができるか

 フィールドワークをともに学んだり研究したりする仲間うちで、フィールドワーク中のハラスメントを避ける工夫や知恵を共有して助け合えるとよいですね。インタビューに同行するのは難しくとも、移動手段をシェアするなどのことができるかもしれません。このほかにも、いろいろな場面・状況が想定できると思います。ぜひ考えたり話し合ったりしてみましょう。
 また、心に傷を受けた人への話の聞き方では、「共感と受容」のうえで「建設的・伴走的であること」が大切だと思います。はたからみると「たいしたことじゃない」「おおごとにしてどうなる」と思うようなことでも、本人は恐怖や混乱から脱しておらず(または思い出して)、苦しんでいます。恐怖や混乱を否定せずにいてほしいと思います。 
 本人は自分から「私が悪かったんですけど」などというかもしれませんが、聞き手が「そう、もっと気をつけなきゃ」などと言う必要はありません。「もっと気をつければ、こんなことにならなかったかもしれない」と、誰よりも悔いて苦しんでいるのは本人なのです。嘘をつく必要はありませんが、仮に「もっと気をつければよかったのに」と思っていてもその場では飲み込んで、「あなたは悪くないよ」と思ったなら、そのことをはっきりと本人に伝えるとよいと思います。
 そのうえで、「再びそんなつらい出来事が起きないように、あなたを助けるつもりがあるよ」というメッセージを明確に伝えることも救いになります。今回のケースのように、「次から一緒に行こうか?」というのはさすがに実行が難しい場合でも、「いざとなったらいつでも電話してね」とか「何か私にできることはある?遠慮なく言ってね」など。これも、無理をしたり嘘をついたりする必要はありません。聞き手のできる範囲で、「これからそんな目にあわないように、一緒に考えたり、助けあったりする人がここにいる」と伝わることが大事なのです。

Ⅴ おわりに―誰もがフィールドワークを楽しめるように

 私はフィールドワークの面白さに取りつかれて、この世界に入りました。自分にとって新しい地域や場所を歩き、見知らぬ人々に話を聞き、たくさんの出会いと新鮮なコミュニケーションがあり、世界の見え方が変わる瞬間を体験できるフィールドワークが大好きです。 
 だからこそ、フィールドワークで起こりうるハラスメントのリスクについての知識、予防の工夫や解決のための仕組みを共有していきたいと思います。体当たりでフィールドにぶつかって学んでいくことも大事ですが、そこでの傷が思わぬ深さとなる悲劇を繰り返さぬように。この体験記が、その一助になれば幸いです。

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    たとえば、斉藤章佳『男が痴漢になる理由』2017年、イースト・プレスなど。